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聖書メッセージ
​Bible Message
2022年2月27日 「私に従いなさい」

一生懸命やれば何でもできるというのは間違いです。私たちはクリスチャンとして一生懸命頑張って、結果を神様にゆだねます。

(アンディ・ロー 沖縄クリスチャンスクールインターナショナル牧師 Andy Roe, Okinawa Christian School International Chaplain)
2022年1月16日 「ペテロの脱獄」

不満を神様に打ち明けても良いのです。
不満の気持ちを黙っていたところで、神様は私たちの気持ちをすべてお見通しです。
それなら、打ち明けた方が良いです。
神様は私たちを助け出してくださるし、克服する力も与えて下さいます。
二つとも神様からの恵みです。

(ジェイソン・クラフト サウスダンヴィルキリストの教会牧師 Jason Craft, South Danville Church of Christ Minister)
2021年11月21日 「天に名前が書き記されている喜び」

故人のことを「あの人は生前に立派な行いをしたから天国に行くんじゃないか」とか、その逆に「散々悪いことをしたから天国には入れないんじゃないか」というような話をする人がいます。
しかし、その人の行いに関係なく天のみ国は開かれています。
人は自分のしたことを評価されたいという誘惑にいつもさらされています。評価がないと自分のやっていることが無意味に思えて、落ち込んでしまいます。
しかし、イエス様は「あなたがたの名がすでに天に書き記されていることを喜びなさい」とおっしゃいます。
天に名前が書き記されているということは、神に愛され、受け入れられているということです。
私たちはそれぞれ働きに違いはあっても、その尊さは神様の目の前には同じです。私たちの働きにはそもそも違いがあります。他人と比べる必要はありません。

(岸本 大樹 旭基督教会牧師 Daiki Kishimoto, Asahi Church of Christ Minister)
2021年9月19日 「神の懲らしめ」

ある日のクリスチャンスクールの礼拝で、指定された席に頑として座ろうとしない生徒がいました。簡単な解決方法はその時だけその指定席以外の席に座らせることですが、一番良い方法とは言えません。「指定席に座らないと、校長先生のところに連れて行くよ」と言ってもきかないので、結局その生徒を抱えて校長先生のところに連れて行きました。しつけは楽しいことではないですが、子どもの発達には必要です。皆さんはこの子供のようにはなりたくないですよね?

神の懲らしめには3つの目的があります。

1、修正
(マタイ26章より)
ペテロはイエス・キリストの弟子であることを3度否定しました。キリストを「知らない」というのはどんな状況でも良くありません。イエスは十字架刑を受けられ、墓に葬られ、そして3日目によみがえられました。それからイエスはペテロに会い、3度「私を愛するか?」とペテロにききました。ペテロは傷つきましたが、ペテロを弟子たちのリーダーにするには必要な懲らしめでした。

2、保護
(第二コリント12:6-7より)
パウロには自分から取り払ってほしい問題を抱えていました。その問題を「とげ」と表現しました。実はその「とげ」はパウロを守るためでした。神はパウロに謙遜でいてほしかったのです。懲らしめを与えて、いつでも神に頼るようであってほしいからです。

3、教育
(ヨブ記より)
ヨブは正しい人で、罪もなく誠実でした。そんなヨブには懲らしめの必要がないように思えます。しかし誠実であったにも関わらず、神はヨブにたくさんの懲らしめを与えました。所有する家畜や召し使いがことごとく殺され、子どもたちが全員死に、ヨブ自身の体中に腫れ物ができ、、、。このような懲らしめはヨブの学びのためでした。ヨブはなぜ自分にこのような災難が起きたのか、理由を知りたいと思いました。そして最終的には、神は全能であり、どんな計画も成し遂げられることを悟りました。こうしてヨブは正しい神の理解を得ました。ヨブは試練を受けたことによって、ほとんどすべての人にアドバイスを与えることができるようになりました。

懲らしめを軽んじてはなりません。
私たちは試練にあったら、主が私に何をしようとしているのか、私の修正のため?保護のため?教育のため?を考えなくてはなりません。
懲らしめの理由はへブル書12:6につきます。
「主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
主は私たちがキリストのようになってほしいと望んでいます。私たちが常に霊的な戦いの中にいることを思い起こさせます。しかし、キリスト共にいれば恐れることはありません。

(アンディ・ロー沖縄クリスチャンスクールインターナショナル牧師 Andy Roe, OCSI Chaplain)


2021年9月5日 「最終的な言葉」

著者はへブル人への手紙13:20-25で仲間たちに「さよなら」と言っています。著者が伝えたかったのは次の3つです。

1、神は「平和」の神

神のみ子イエス・キリストが誕生したとき、天の軍勢が「み心にかなう人々に平和があるように」と言いました。
神の平安とは、人間が望むような戦争が無い状態などを意味しておらず、人知ではとうてい測り知ることのできない平安です。

2、神は「命」の神

イエスは私たちの罪のために死に、葬られ、三日目に蘇られました。そして弟子たちの前に次々と現れました。イエスの復活を見ることは使徒の基礎でした。
イエスを死者の中から導き出したのは神です。

3、神は「備える」神

神は私たちが神のご意思に従って生きるよう計画しておられます。そのために神は全ての良きものを備えて下さいます。

著者はイエスを「永遠の契約の血による羊の大牧者」と形容しています。小羊は無力で、自分自身を養うことも守ることもできないので、羊飼いから離れることはできません。
良い羊飼いは羊のために命を捨てます。イエスは私たちに新しい契約を与えてくださいました。私たちの契約は新約聖書です。イエスの血によって私たちは新しい道を通り、神のみ前に近づくことができます。

著者はこう結んでいます。
「恵みが、あなたがた一同にあるように。」

この恩恵を受けるために私たちができることは何もありません。恵みは神からの贈り物です。あなたはあなたの人生の中で神の恵みを見るでしょう。

(アーネスト・フェバー元宣教師 Ernest Faber, Missionary (retired))
2021年8月22日 「教会の最初のトラブル」

第二コリント9:7には、献金額は自由、ただ自分で決めた通りにしなさい、とあります。昔、ユダヤ人のおきては収入の十分の一でした。しかしクリスチャンのおきては喜んで与える分です。神様はいやいやながらささげる献金は受けたくありません。神様は私たちのお金は必要ないのです。

使徒の働き5:1-11に、ある夫婦のエピソードが出てきます。その夫婦は私有物の売却金の全部をささげると申告しておきながら、一部を自分たちのために隠しておき、これが全部、と言ってイエスの弟子たちに献金をしました。それを見抜いたペテロがそれを指摘すると、夫婦ともすぐに倒れて死んでしまいました。

ここからお伝えしたいのは、神様をあざむくのはだめだということです。神様はあなどられるような方ではありません。神様を恐れなくてはなりません。教会の問題の根は、周りの人々の考えを神様の考えよりも大事にすることです。人の誉れよりも神様の方が大事です。
私たちは何を大事にすべきでしょうか?神様のみこころに従うべきです。人は色んな過ちをすることがありますが、神様はただちにその人を地獄に落とすことはありません。その人が心から悔い改めるならば。神様は最後までチャンスを与えるお方です。

(ジェイソン・クラフト サウスダンヴィルキリストの教会牧師 Jason Craft, South Danville Church of Christ, Minister)
2021年8月8日 「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません」

私たちが道路で車を運転できるのは他のドライバーたちも交通ルールを守ってると思っているからですよね?このように、信用や信頼は大切です。
へブル書11章6節では「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません」と書いてあります。ユダヤ教では行いによって救いがあると信じられていましたが、キリスト教では行いによってではなく恵みによって救われる、と信じています。へブル書11章1節では「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」と書いてあります。「信仰とは何か」と理解する一つの方法として、クリスチャンスクールでは「Trust-Fall(信じて落ちる)」という実践方法があります。これは一人の立っている生徒が、前を向いたまま仰向けに倒れるわけですが、地面に落ちる前に背後に立っている教師が支える、というものです。これによって生徒は1、見えなくても信じる 2、受けとめられるほどの力があると信じる 3、裏切らないと信じる ということを学ぶことができます。
信仰によって神に喜ばれた人の中にアブラハムという人がいます。彼は全く知らない場所に旅立ちました。神がそのように命じたからです。その時彼は75歳。彼は自分を通じて神がこの世に恵みをもたらしていくということを100%信じていました。
私がホッケーの試合中、パックが左目に当たって負傷したとき、医者は回復は無理、と言いました。私は目が回復するように祈りました。またほかの人たちも祈ってくれました。その後その左目は18か月で医者が信じられないほど回復しました。祈りの結果だけがこの回復をもたらしてくれたのだ、とその医者は言いました。目に見えない神が私たちの祈りを聞いてくださっていると信じることです。
親切にしたいと思わないような人に対して親切にしたとしたら、それは神の命令によるものです。神の命令が良い実を結ぶということを信じていることによります。忠実に、信仰をもって、勇敢にイエス・キリストの後を追いましょう。
​
(アンディ・ロー沖縄クリスチャンスクールインターナショナル牧師 Andy Roe, OCSI Chaplain)
2021年7月25日 「み翼の下で」

かつてベツレヘムにききんがあった時、ナオミは夫と二人の息子と一緒に隣の国モアブに行き10年間そこに住んでいました。しかしその間に夫と二人の息子は死んでしまい、ナオミは長男の嫁のモアブ人ルツと一緒にベツレヘムに帰ってきました。大麦の刈り入れの始まった頃でした。生活の援助をしてくれる人もいなかったので、ルツは「落ち穂拾い」に出かけて自分たちの食料を確保しようと思いました。ルツが行った畑は、はからずもエリメレク(ナオミの夫)の一族に属するボアズの畑のひとつでありました。ちょうどその時ボアズがベツレヘムから、この畑にやって来たのでした。「はからずも」とか「ちょうどその時」とか、このような状況を世間の人々は「たまたま」とか「偶然」と言います。しかしクリスチャンはこのような状況を「神様の導き」といいます。ボアズはここで落ち穂拾いをしていたルツと初めて会うことになります。ボアズはルツを特別に親切にあつかってくれます。そんなボアズに対してルツは「私が外国人であるのを知りながら、どうして親切にして下さるのですか?」と尋ねます。するとボアズは「あなたの夫が亡くなってから、あなたが姑にしたこと、それにあなたの父母や生まれた国を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私はすっかり話を聞いています」と答えるのですが、ちょっと疑問に思うことはな いでしょうか?ボアズは誰からその話を聞いたのでしょう?ナオミから?いいえまだナオミは会っていません。それでは誰から聞いたのでしょう。ナオミがベツレヘムに帰ってきたその日、町中の女たちが騒ぎ出してナオミと話を交わしたと書かれていたので、その人たちのうわさ話がボアズの耳に入ったのでは、と思います。一般的にうわさ話というのは良いうわさよりも悪いうわさが多いものです。「あの人、親や故郷を捨てて姑についてきたんですって・・・きっとナオミの財産目当てじゃないの」「ナオミもナオミよね。これから先どうするつもりかしら。連れてきた責任をとれるつもりかしら」という声も聞こえてくるようです。しかしボアズは悪いうわさではなくて、良いうわさを聞いたようです。それはベツレヘムにいた女たちは他人の悪口を言わない親切な人だったからでしょうか?いいえ、そうではないようです。というのは落ち穂拾いから家に戻ったルツにナオミが「娘よ、あの方のところの若い女たちと一緒に出かけるのは結構なことです。他の畑でいじめられなくても済みます」と言っているので、いじめがあった。意地悪い人がいたことが分かります。そんな中で、なぜルツがみんなから好意を持たれたのでしょうか?テサロニケ人への手紙第一の5章16節~18節に「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」というみ言葉どおりにルツは生きていたと思います。ルツは異邦人でしたが姑ナオミの後ろ姿を見て、まことの神を信じました。ルツが両親や生まれた国よりも、姑ナオミと一生涯暮らす決心をしたのは、まことの神への強い信仰によるものでした。右も左も分からないベツレヘムに着いてからは、当然絶えず祈っていたことでしょう。ルツにとってはナオミと一緒にいれることが幸福でした。だから落ち穂を拾い集めている時も、がむしゃらに頑張っているのでははくて、嬉しそうに、喜んでいるように見えたことでしょう。ボアズに対してだけでなく、畑にいる若者や若い女たち、みんなに感謝の言葉を述べていたことでしょう。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい」。特に「いつも喜んでいなさい」というみ言葉が、今私の心に響きます。現実は喜べない状態ですが、「キリストにあって」という条件があるならば喜ぶことができるのだと教えられました。フツフツと喜びが、キリスト・イエスを信じる者の心に湧いてくると教えられました。

(松山 英子師 Eiko Matsuyama, Worship leader)
​2021年2月28日 「光の中を生きている」
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罪は「滑りやすい坂」に例えることができます。
罪に陥らないようにするにはどうしたらよいでしょうか?
それは光の中を歩むこと、すなわち聖なる神と真理の中を歩むことです。これには努力も要します。

人は様々な理由で罪を言い訳します。「誰も見ていないから大丈夫」「必要だから大丈夫」「皆がやってるから大丈夫」「自分にはそれだけの価値があるから大丈夫」「一回だけだから大丈夫」...。
悪魔はこのようにして人を罪に陥らせます。
私達も実際には闇の中を歩いているのです。クリスチャンになってからも罪と無縁ではありません。もし罪を犯してしまったら、その罪をしっかりと受け止め、悔い改めることが必要です。

その際、心から悔い改めず、口先だけで謝るのはやめましょう。そうすると神様からの信頼を失ってしまい、傷は残ったままになるでしょう。

まとめますと、光の中を歩むためには、
1、神の真理の中で生活しましょう
2、神との時間を過ごしましょう
3、私達の罪を真剣に悔い改めましょう

(アンディ・ロー沖縄クリスチャンスクールインターナショナル牧師 Andy Roe, OCSI Chaplain)

2020年6月7日 「キリストの教会の始まり」
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使徒の働きの第2章全部を読めば、次の5つの教会の基本が出てくるのが分かります。
1.伝道
2.ディサイプルシップ
3.仕えること
4.交わり
5.礼拝

第一 伝道について
1節から21節までは、何が起こっているかという説明だと思っていいです。御霊が下って、使徒たちを他の国の言葉を話せるようにしました。そして、その共にあった、大きい風の音を聞いて集まってきた人々にペテロが、「これが預言者に告げられた神様の約束された日だ」と説明しました。22節から、ペテロが福音を述べ伝えはじめました。22節から24節、32節と33節、そして36節から38節を読んでください。これはまさに伝道です。まず、聖霊に満たされることが必要です。そのことがペテロの言う通りに、洗礼を受ける時と同時に起こります。これは、伝道をする人はクリスチャンでなければならないという意味です。
2つ目に、人の注目を集めて、
3つ目に、今のシチュエーションはどうなっているか説明して、(人間は皆、罪を犯したということ)
4つ目に、このシチュエーションは、人のせいだと教えて、(神様のせいじゃなくて、人間の自業自得であること)
5つ目に、イエス様がこの問題の解決であると教えて、
6つ目に、イエス様からの赦しをどうやって受けるのかを教えます。

第二 ディサイプルシップについて
ディサイプルは弟子という意味です。だから、ディサイプルシップは良い弟子になることです。良い弟子になることとは次のことです。
1.聖書を読むこと
2.祈ること
3.教会の家族と接すること
4.自分の持ち物を神様のために使うこと(お金は含まれているけど、それだけじゃない。時間も、才能も、自分の全てを神様のために使うこと)
5.伝道すること(良い弟子になるには、使徒と同じく、福音を周りの人々に伝えなければなりません)

第三 仕えることについて
クリスチャンは周りの人々を助けるべきです。クリスチャン同士から、クリスチャンじゃない人まで、仕えるべきです。

第四 交わりについて
人間は交わりが必要なように造られています。一人だけだったら、死んでしまいますので。どうして、自分一人でクリスチャンのことができると思いますか?神の子イエス様でさえ、十二人の親しい弟子を選びました。私たちは子なる神より強くないですね。交わりは必要です!

第五 礼拝について
礼拝のことはどうやってしましょうか。もちろん、讃美歌はふさわしいですね。エペソ人5:19にはそう書いてあります。毎日の行動が神様への礼拝になれます。ローマ人への手紙12:1にはこう書いてあります。
「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなた方の霊的な礼拝です。」
教会だけで礼拝ができるのじゃなくて、仕事の中で、いや、仕事で、神様を礼拝することができます。そういうことがあったら、他のことで礼拝ができると知っても驚かないでしょう。献金も、洗礼を受けることも、主の晩餐も、祈ることも、聖句を深く考えて生かすことも、礼拝になります。

この五つのことが皆、使徒の働きの第2章に入っています。教会の全てが入っています。このことを覚えて、この章を読んでください。
(ジェイソン クラフト牧師 Jason Craft, Minister)
2020年5月24日 「人生の変化球」
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 カーブボールとは?野球のピッチャーがバッターを欺くために使う変化球テクニックです。ボールがストライクゾーンに入るかと思いきや、バッターに近づく直前に下に曲がってバッターにバットを振らせてストライクを取るのです。
 たまに人生も変化球のようです。思い通りに行かない時があります。状況が急変する事があります。中には働く事ができなくなったり、教会に行けなくなったり、友だちと会えなくなったり、家から出られなくなったり。その時どうしたらいいのでしょう?困難をどうやって乗り越えられるのでしょう。
 今から共有する4つの事はこの変化球の対処法です。是非覚えて下さい。
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 1.神は誠実な方である事を思い出す
 詩篇103編2節『わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。』
 この御言葉は覚えると良いです。今回が初めての変化球でしょうか?違いますね。神は間違いなく誠実な方です。主がなさったことを何一つ忘れないようにして、主の栄光を覚えましょう。主はどんな時も誠実な方です。私達を助けて下さいます。

 2.主により頼む
 コリント人への手紙第二12章10節『ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。』
 中にはこの事を軽く見る方もいるでしょう。多くの人が「自分の力で頑張ったらなんとかなる」もしくは「自分が全力を尽くせば、何でもできる」と考えているからです。本当のことを言うと、それは真実ではありません。あなた自身の力ですべての事はできません。この一節から学べる事は、私達は弱く、主の支えと力を見上げる必要があるという事です。主は私達が一人でできること以上の事を私達のために与えて下さいます。

 3.主の約束に目をとめる
 ナホム書1章7節『主はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである。主に身を避ける者たちを主は知っておられる。』
 聖書には多くの約束が記されていますが、その中で私が特に注目する約束があります。この箇所には主の素晴らしさについて3つの事が書かれています。1.主はいつくしみ深いお方、2.私達が危険な状況にある時主は私達の避け所となるお方、3.主は我々のとりでである事。なんて素晴らしい約束でしょう。この御言葉は私が辛い時に良く思い出し、自分に言い聞かせる箇所です。どんなに苦しい時を過ごしても、立ち止まって主の約束を思い出す時、それはあなたの励ましとなります。

 4.成長
 ヤコブの手紙1章2-4節『私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなた方は知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全なものとなります。』
 私達が成長するために必要な事は試練です。もし人生が簡単で、悩みもなく、何もチャレンジする事がなければ成長はしません。だからヤコブは私たちにこう励まします、「様々な試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」試練にあった時、主に聞きましょう。「主よ、今私に何を教えていますか?」

 人生に変化球があった時、私達はどう対処したらいいのでしょうか?
 1.神は誠実な方である事を思い出す
 2.主により頼む
 3.主の約束に目をとめる
 4.成長

(アンディ ロー沖縄クリスチャンスクールインターナショナル牧師 Andy Roe, OCSI chaplain)
2020年5月17日
 私にはあるクリスチャンの友人がいます。彼女は「私たちは未来を恐れていない」と言いました。それは本当に真実でしょうか。
 創世記3:10「彼は答えた。『私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。』」
アダムは恐れとという言葉を使った最初の人でした彼は神を恐れていました。
 人々が恐れていることのリストを見つけました。日本語のリストとは違うかもしれませんが。
グループの前で話す、高さ、昆虫、仕事上の問題、深海、病気、死、飛行、孤独感、犬、車の運転、暗闇・・・
クリスチャンでも恐れから離れることができません。聖書に出てくる人々もそうです。
 約束の地、カナンに入る前、モーセはの前に立って言った、「恐れるな・・・主はあなたと共におられる」。
 申命記1:21「見よ、あなたの神、主は、この地をあなたの手に渡されている。上れ、占領せよ。あなたの父祖の神、主があなたに告げられたとおりに。恐れてはならない。おののいてはならない。」
 弟子たちは船に出ていました。彼らは彼らが幽霊であると思ったものを見ました。霧の中から彼らは次の声を聞きました。
ヨハネ書6:20「しかし、イエスは彼らに言われた。『わたしだ。恐れることはない。』」
 恐れには二種類あります。良い恐れ。良くない恐れ。ダビデは良い恐れについて賛美しました。
箴言9:10「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。」

 参照
「神を恐れることについての注目すべきことは、神を恐れるなら、あなたは他を恐れないが、神を恐れないなら、あなたは他のすべてを恐れる。」(オズワルド チェンバーズの言葉)
「正しい恐れとは、神を失う恐れです。」(マイスター エッカートの言葉)
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 へブル書4:1「こういうわけで、神の安息に入るための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれに入れないようなことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。」
 へブル書11:7「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。」
 イエス様は山上の説教でこのように言われました。
マタイ書6:34「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」
 ダビデの歌
詩篇27:1「主は、私の光、私の救い。だれを私が恐れよう。
      主は、わたしのいのちのとりで。だれを私はこわがろう。」
(アーネスト フェバー元宣教師 Ernest Faber, Missionary :retired)
 2020年5月3日
 誰もが罪人です。
 律法は私たちが罪を犯したことを私たちに気づかせます。
 ローマ書第3章22-24節は、(割礼を受けた)ユダヤ人も(割礼を受けていない)私たちもすべての人が同じであり、同じように救われていることを示しています!
 アブラハムは神を信頼して、神を正しいと定めました。アブラハムは自分自身を正しい者にしようとはしませんでした。
 私たちができないことを神が私たちにしてくれる、と神に信頼する時、私たちは神からの贈り物を受け取ります。
 アブラハムは割礼を行う前に神を信頼したという例です。そして割礼はこの信頼の象徴にすぎませんでした。
 第4章25節でまとめます!
 犠牲にされたイエスは私たちを神にふさわしくさせ、私たちを神と合わせました。
(ローマ書第3章1節ー第4章25節より ザック ポイナー宣教師 Zach Poyner, Missionary)
2020年2月16日
 預言者ヨナは、ニネベへ行き「四十日すると、ニネベは滅ぼされる」という主のことばを伝えました。それを聞いた全てのニネベの人々は神を信じ、悪から立ち返るために努力したので、神は災いを下すことを思いとどまりました。
(ヨナ書3章より 松山 英子師)
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2020年2月2日
 主の命令に背いたヨナは、大魚に飲み込まれてやっと主に祈ることができるようになりました。それは真実な心の叫びと、主に対する全き信頼の祈りでした。
(ヨナ書2章より 松山 英子師)

2020年1月26日
 預言者ヨナは「ニネベに行き、叫べ」と言う主のことばに従わず、船に乗りタルシシュへ逃げようとした。そんなヨナに対して主は暴風を起こすという方法で、悔い改めのチャンスを与えようとした。
(ヨナ書1章より 松山 英子師)
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2020年1月19日
 「この町には、わたしの民がたくさんいるから」という主の約束通りに、パウロはコリントで多くの伝道の協力者を得ました。アクラとプリスキラ、テテオ・ユスト、クリスポそしてソステネです。主の励ましによってコリントに教会は誕生しました。
(使徒の働き18章1-23節より 松山 英子師)
​
2020年1月5日
 復活されたイエスは、心の傷がいえてないペテロに会うために現れました。「ヨハネの子シモン、あなたは私を愛しますか」というイエスのことばは、「シモン、わたしはあなたのうらぎりを許してます。わたしはあなたを愛してます。ですからあなたの愛し方でわたしを愛し続けてくれませんか」という事なのです。
​(ヨハネ福音書21章より 松山 英子師)
2019年10月27日
 ピリピで最初にバプテスマ(洗礼)を受けたのは、異邦人の婦人ルデヤでした。次にバプテスマを受けたのは投獄されたパウロとシラスを看守していた男性でした。主イエスを信じたルデヤも、看守も、その家族と共にバプテスマを受けました。
(使徒の働き16章11-40節より 松山 英子師)
​
2019年10月6日
 第一回伝道旅行で共に働いたパウロとバルナバは、同伴者の件で対立し、第二回伝道旅行は二つのチームが別々の地方へと宣教に出ました。しかしパウロの宣教の計画は二度も聖霊によって禁じられ、パウロは聖霊の命令に従わざるを得ませんでした。「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る」
(使徒の働き15章36-16章10より 松山 英子師)
​
2019年9月22日
 キリスト教会が分裂するかと思われたほどのエルサレム会議は、聖霊の導きにより決着をみました。神の恵みとキリストの恵みとは、割礼を受けていない異邦人にも注がれたという事実を全員が受けとめることができました。
(使徒の働き15章 松山 英子師)
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2019年9月15日
 ルステラの町で、パウロとバルナバは生まれながらの足なえの人をいやしました。これを見た群衆は二人を神にまつりあげようとしました。しかしパウロは「偶像礼拝を捨てて、生ける神に立ち返るように」と福音を伝えました。
(使徒の働き14章8-28節 松山 英子師)

2019年7月21日
 ヘロデ王は使徒ヤコブを殺し、次にペテロを捕え投獄しました。しかし主の御使いの助けでペテロは救出されました。全てに人間の理解を超えた神の御計画があり、教会に求められることは信じて、あきらめないで祈り続けることです。
(使徒の働き12章 松山 英子師)

2019年7月7日
 アンテオケに最初の異邦人教会が誕生しました。聖霊の導きによる信徒の自発的な伝道活動によって生まれた教会は、さらに聖霊の導きによって成長を遂げていくことになります。エルサレム教会がききんに苦しんでいる事を知った彼らは救援物資を送りました。
(使徒の働き11章19-30節より 松山 英子師)

2019年6月16日
 ヘロデは「ユダヤ人の王」という地位を守るために、多くの人を殺害し、自分の息子まで殺しました。それに対してヨセフは「正しい人」という誇りを捨て、妻のマリアと幼子イエスの命を守りました。
(マタイ1章より 松山 英子師)

 2019年6月9日
​ 「使徒の働き」は別名「聖霊の働き」の書と呼ばれています。昇天前に告げられたイエスのみことば(使徒1章8節)は、聖霊の導きのもとに成就しました。
​(使徒の働き11章1-18節 松山 英子師)

2019年5月12日
 聖書には多くの母親が登場しますが、ふたりの遊女の違いは自分の幸福を第一とするか、子どもの幸福を第一とするかでした。良い母親は子どもの幸福を願い、神の御手に委ねる人です。
(第一列王記3章16-28節より 松山 英子師)
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2019年5月5日
 母ハンナの信仰の祈りがきかれ、サムエルは誕生しました。幼子サムエルは祭司エリのもので主に仕えていましたが、ある晩主は三度サムエルを呼ばれました。四度目、主は聞き従う準備ができたサムエルに語られました。こうして預言者サムエルは誕生しました。
(サムエル記第一 第3章より 松山 英子師)
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2019年4月21日
 あがないの死をとげられたキリストは、三日目に死からよみがえられました。復活の主はマグダラのマリヤに、トマスに、ペテロに現れて彼らをいやし回復させました。
(ヨハネの福音書 第20章より 松山 英子師)
​ 
2019年4月7日
 十字架にかけられたキリストは、七つのことばを発せられました。特に四番目の「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」ということばこそ、罪人である私たちの身代わりの死であったことを証明しています。
(ルカの福音書 第23章より 松山 英子師)

2019年3月24日
 ローマの百人隊長コルネリオは敬虔な人でした。神は異邦人に対して誤った考えをもっていたペテロを、幻によって是正して、コルネリオの回心のために遣わしました。
(使徒の働き10章より 松山 英子師)
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2019年3月10日
 ペテロは中風のアイネヤをいやしました。また、タビタを死から生きかえらせました。二つの奇跡は、イエスが中風の人をいやした時と、会堂管理者ヤイロの娘を生きかえらせた時の方法と似ていますが、根本的な点で大きな違いがあります。イエスはご自分の力で奇跡をなさったのに対して、ペテロはイエスのみ名によって奇跡をおこしました。
(使徒の働き9章32-43節より 松山 英子師)
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2019年2月24日
 熱心なユダヤ教徒のサウロは、多くのキリスト教信者を殺害していました。そのサウロに復活のイエスは現れました。天からの光に倒れ、イエスの声を聞いた時、サウロはイエスが真の神であると信じました。
(使徒の働き9章1-31節より 松山 英子師)
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2019年2月10日 
 ピリポは聖霊の導きに従って、サマリヤからガザに行きました。そこにいたエチオピア人の求道者に対して、聖書からイエスのことを彼に宣べ伝えました。伝道とはイエスが救い主であると伝えることです。
​(使徒の働き8章より 松山 英子師)
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2019年1月20日
 天地創造の出来事において神が最初に創造されたのは「光」です。単にまわりを明るくするという「光」が造られたのではなくて、私たち人間を導く「まことの光」としてイエスキリストがおられることを示唆しています。
(創世記1章より 松山 英子師)

2018年12月30日
 ユダヤの王ヘロデは、自分が生きるために多くの人を殺した残酷な王でした。しかしマタイ27章でユダヤの王と呼ばれたイエスは、人を救うために自分の命を捨てた真の王であり、真の神でした。
(マタイ2章より 松山 英子師)
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2018年12月9日
 クリスマス物語ではマリヤよりも影のうすい印象のヨセフですが、ヨセフは御子イエス誕生の為に神に選ばれた人物でした。ヨセフは律法を守ることにこだわりぬくことをやめ、正しい人を放棄することで、神に従いました。
(マタイ1章より 松山 英子師)
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2018年12月2日
 ユダヤ人のねたみによって捕らえられたステパノの説教は、救済史に基づくものでした。聖なる所についてはユダヤ人の考えが誤りであること、そして律法に関してはユダヤ人自身が律法を破っていると、鋭く指摘しました。
(使徒7章1-53節より 松山 英子師)

2018年11月18日
 ステパノは教会員の世話をするだけでなく、人々の間ですばらしい不思議なわざとしるしを行っていました。ユダヤ人に捕えられ石打ちにされても、ステパノは敵の救いの為に祈りました。
​(使徒6章8-15節、7章54-60節より 松山 英子師)

2018年11月4日
 使徒たちが、みことばと祈りの奉仕に専念できるように教会員の世話をする7人が選ばれました。こうして、みことばは益々広まり教会は発展していきました。
(使徒6章1-7節より 松山 英子師)

2018年10月21日
 使徒たちに対する迫害は更に強くなり、二度目の逮捕となりましたが、神は彼らを牢から助け出しました。しかし、十字架にかけられたイエスに対しては神は助けの手をのべませんでした。
(使徒5章12-42節より 松山 英子師)
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2018年10月7日
 神へのささげものは、人間の自発的な愛による行為の表れです。ですから最善のささげものは、自分自身をきよい生きた供え物として、ささげることです。
(使徒4章32節-5章14節より 松山 英子師)

2018年9月23日
 平凡な人生に突然あると襲ってくる不幸・・・その時に良くも悪くも神の御手の中にあるという信仰があるならば、嘆き悲しむことも、他人の好意に甘えることも許されるのです。
(ルツ記1章より 松山 英子師)

2018年9月16日
 人生の先輩であるシメオンとアンナは神の救いを待ち望んでいた正しい敬虔な人だったので、幼子イエスに神の救いを見ることができました。
(ルカ2章22-40節より 松山 英子師)
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2018年9月2日
 人生の先輩であるカレブは、強い身体と強い心と強い信仰をもって生涯神に従い通しました。
(ヨシュア14章より 松山 英子師)

2018年8月19日
 聖霊に満たされた初代教会の働きは、祈りと交わりと宣教でした。信じた者の群れは心を一つにして、神に従っていました。
(使徒の働き4章23-37節より 松山 英子師)
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2018年8月5日
 美しの門でのいやしが原因となってペテロとヨハネは捕えられ裁判にかけられました。しかし聖霊に満たされ「キリスト以外には救いはない」と証言しました。
(使徒の働き4章1-31節より  松山 英子師)
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2018年7月22日
 美しの門でペテロは、生まれつき足のきかない男をイエスキリストのみ名によっていやしました。み名には病人の信仰をひきだす愛の権威があり、最善の解決を与えてくれるのです。
(使徒の働き3章より  松山 英子師)
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2018年7月8日
 ペテロのメッセージを聞いて悔い改めバプテスマを受けた3千人と弟子達によって誕生した教会は、みことばを守り聖なる交わりをし、何よりも祈る教会でした。
(使徒の働き2章37-47節より  松山 英子師)
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2018年6月24日
 五旬節の日に主の約束どおりに精霊が注がれ、ペテロは大胆に力強く福音を語りました。聖霊に従えば誰でもイエスを主と信じ救われることは簡単なことなのです。
(使徒の働き2章1-36節より  松山 英子師)

2018年6月10日
 教会誕生まで弟子たちがした事は、主の約束を信じ心をあわせて祈ることでした。全ての準備において一番大切なことは、一致の祈りです。
(使徒の働き1章12-26節より  松山 英子師)

2018年5月27日
​ 教会誕生の準備は、イエスの十字架と復活と昇天において神がすでに成しておられました。その福音の業の継承と拡大のために、神は教会を用いようとされたのでした。
(使徒の働き1章1-11節より  松山 英子師)

2018年5月13日
 良い母親とは自分の幸福よりも子供の幸福を願う人であり、子供を神の手に委ねることのできる人です。
(第一列王記3章16-28節より  松山 英子師)

2018年4月29日
 復活の主イエスはクリスチャンを迫害していた教会の敵であるパウロに現れました。それはパウロを選び異邦人伝道の神の器とするためでした。
​(使徒の働き9章1-19節より  松山 英子師)
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